グループ展
部展に飽き足らず、もっと自由に絵を描きたい部員が求めた場所、それがグループ展。
メンバーも作風もより自由に、より自分らしく活動することができるグループ展は、大学の壁を越えて、志を同じくする者同士で作られていった。
名城大学はその当時、年間8-9回の展示会を行っていたが、全員が全部に出品するわけではないので、その間を縫っていくつものグループ展が開催されていた。
単発の個展や2人展を開催する人たちもいた。僕も、部展+グループ展をやりながら3つ上の先輩と2人展を開催した。
僕が1年生の時、先輩たちが「求印象派」というグループを作っているのを知った。
どこの大学のどなたがメンバーとして属していたかは忘れてしまったが、ここに写っている方は、覚えているだけで名城大学・名古屋大学・椙山女学園大学・名古屋私立短期大学・名古屋短期大学・愛知淑徳大学である。大変絵のレベルの高いグループでとても刺激を受けた。
先輩の真似をして、これぞという人たちに声を掛け、2年生の4月にグループが立ち上がった。
三七議会 (さなぎかい - 今はさなぎのように不格好だが、成長して蝶のように羽ばたくことを目指した三人の馬鹿(?)と、七人の画家が、ワイワイと会議を重ねながら歩んでいこまいか・・・という意味合い)。
メンバーは、名城大学が中心だが、金城学院大学・愛知女子短期大学・愛知淑徳短期大学の方々が参加してくれた、少数精鋭の10人である。見よ、ヤル気に満ちた凛々しい顔!
三七議会
記念すべき第一回は1979年11月16日~3日間。ちぐさ画廊で開催
卒業するまでに5回の展示会を開催した。
案内状は片面銀色の極厚紙。パソコンのない当時は、タイプライターとレタリング文字を購入して版下を作った。これでも随分凝った案内状なのである。200枚出したことが効いたのか、125人のお客さまが見に来てくれた。大盛況!
ある日ふらっと入って来た謎のオジサンが、「この絵を描いたのは?」というので名乗り出ると、外に来いと言って歩道の縁石に腰を下ろして話し始めた。1時間近くあれこれ話した。名前を聞くと「東京で建築をやっている磯崎という者だ。どこかで俺の作品を見ることもあるだろう」と言って去っていった。
第3回と第4回は栄の日高画廊。毎回たくさんの人が来てくれた。
背景の絵に注目。「あぁ、こんな感じの絵を描いていたのね」
と思ってください。
大学4年になり大作を展示したい思い止まずということで、第5回には名古屋市博物館に進出することになった。10人のメンバーで、50メートル超の広い壁面を埋められるかが課題だったが、100号の大作も揃いなんとか開催できた。博物館でのグループ展は、当時の学生美術部では初めてのことだったが、 三七議会の成功を見た他のグループ展も、以後続々と博物館に進出するようになった。
博物館へ
博物館展では、案内状を250枚に増やした。
第6回以降は、全員卒業してバラバラとなり、学生の時のように会うことも出来なくなるので、案内状にメンバー一人一人の写真とメッセージを入れ、郵送代のかかる封書の案内状になった。
これもグループ展では初めての試みだったが好評を博し、他のグループでも取り入れるところが出てきた。
社会人だなー。会社の人も来てくれた 第6回展。
来場者には、スケッチブックに感想などを書いてもらった。
卒業してからも、博物館を利用したが、社会人2年目、3年目となるとだんだん作品制作パワーが落ち、部屋も展示壁面が36メートルの小部屋、6室に移る。
それでも、30号・50号が出品されていた。
やっぱり、学生時代が一番時間があった。
学生のうちにやれることをやっておくべきだ。
左の写真は6室。搬入出、当番は後輩たちの力を借りた。後輩諸君、感謝してるよ!
三七議会は卒業後も活動を続けたが、第8回博物館展をもって、展示会は休眠期に入った。
時は流れて・・・
Resurrection
復活の第9回展開催
2022年4月。名古屋市市政資料館で、
39年ぶりの展覧会を開催することができました。
ここは、国の重要文化財に指定されている、ずいぶん渋い建物。時々、テレビや映画のドラマの撮影に使用されたり、結婚式の写真を撮るためにウエディングドレスを着た人が訪れるのも納得です。
「倍返し」の半沢直樹の撮影に使われた中央階段で。
2022年4月15日から3日間の展覧会でした。この日は8人が集まって記念撮影。結成から43年が経ち、何十年ぶりかに顔を合わせる人もいましたが、みんな誰がだれかをすぐに識別できた。そして、すぐに打ち解けてあの頃と同じような会話をしているうちに、みんなの顔が学生時代に戻っていくんだよなー。
これだからやめられない。